先日『どん兵衛 釜たま風うどん』を食べたんですが、予想よりかなり美味しくてちょっとした幸せを感じました。
そのことを家族に伝えると「ドン・キホーテで59円だったよ」と言われあまりの安さに驚くと同時に、こう思いました。
59円で幸せを感じられる自分って安上がりで得だな〜と(笑)
この話をすると人によっては「貧乏舌・・・」と思うかもしれませんし、僕自身『食』にあまりこだわりがないのは自覚しているので貧乏舌と言われても否定しません。
世の中には美味しい食事に関する情報が溢れてますし、基本的には高いものほど美味しいはずと多くの人が思っているのではないでしょうか。
『お金をかければかけるほどより美味しいものが食べれる』という基準を持つ人からすると、59円のカップ麺なんて最低ランクとも言える食事かもしれません。(日清食品さん、すいません・・・)
しかし、僕は確かに59円のカップ麺を美味しいと感じ、ポジティブな気分になりました。
自分がどう感じるかが大切
世の中には『お金がたくさんあれば幸せなはず、結婚をすれば幸せになれる』というような、多数派の意見をもとにした基準のようなものがあります。
多数派の人はその基準を満たさない人間は不幸なはずと勝手に評価して、時には『お前は基準を満たしてないんだから満たせるように行動しろ』と意見の押し付けをしてきます。
けれど人類全てが同じ価値観では無いので、多数派の価値観では幸せを感じられなかったり、逆に多数派の価値観では感じられない幸せを感じる少数派の人もいます。
そういう少数派の人にとって大事なのは『自分自身がどう感じるか』です。
結婚したいと思わないなら結婚する必要はありませんし、質素な生活でも良いから何より時間が欲しいと思うなら正社員になって週5日働く必要もありません。
今回の僕のことを例にすると、食にこだわりがないなら食事に多めのお金をかけなくても幸せを感じることができます。
当たり前が合わないなら抜け出せば良い
世間での当たり前とは違った行動をすると、奇異の目で見られたりおかしいと罵られたり、場合によっては同調圧力をかけられることがあります。
しかし世間での当たり前とは違う価値観を持つ人が多数派の価値観を基準に行動したり生きていこうとすると、中々に悲惨なことになります(笑)
・一人でいるのが好きで自宅でゲームをするのが好きなのに、人が大勢集まる嫌いな飲み会に頑張って参加する
・趣味があって全力を注ぎたいのに、好きでもない仕事にひたすら時間をつぎ込んで趣味の時間が全く取れなくなる
・本当は結婚をする気はないけど、周囲の声に負けたり周囲の目を気にして無理に婚活をする
自分が楽しいと感じなかったり好きではないことを無理に行うのは、とても辛いことです。
精神的に病んでしまう人もいますし、最悪の場合自分で命を経ってしまう人だっています。
もし現状が『世間の当たり前に合わせて生きてきて辛い』という状態なら、潰れてしまう前に自分自身がどう感じるかを大事にしたほうがいいと思います。
当たり前から抜けるのは周囲の目があったり将来への不安もあるのでとても大変ですが、自分に合ってない辛い現状を死ぬまで続けるよりはマシではないでしょうか。
世間での立ち位置なんか気にしなくても楽しく生きれる
今の僕は『28歳・月収約9万フリーター・独身・恋人いない・友人約5人・実家暮らし』という、世間でいうと底辺の役満と言えるでしょう(笑)
しかし他人にどう思われているかは全く関係なく、僕は毎日楽しく幸せに生きています。
それは僕自身が『楽しい・好き・気持ち良い』と感じることを最優先にして生きているからです。
ついでに言えば未来を更に楽しいものにするために日々行動しているので、気力に満ち溢れたポジティブな精神状態でいること出来ています。
59円のカップ麺を食べただけの話が仰々しい話になりましたが、要は自分の感覚を信じて気持ちよく生きていけば人生楽しく幸せなものになるよ〜という話でした。