・それは普通じゃないから
・革ジャンとかおかしい
・歌が入って無い曲とか意味が分からない
今まで僕が実際に言われた事がある、『人格・生き方・趣味・嗜好』などを否定する言葉の一部です。
しかもこれらの言葉を言ってきた人達は、『家族・元恋人・親友』など僕にとって親しい間柄の人達でした。
「そんな人間が恋人とか親友っておかしいだろ」と思われるかもしれませんが、これには自分なりに思い当たる理由があります。
それは彼らの目には僕が、『何を言われても気にしないから傷付かず、愚痴も殆ど言わないから不満が無い人間』というふうに写っているからだと思います。
長く付き合って僕の事を深く知っているからこそ、『どうせ何言っても傷付かないのだから、何を言っても良い』と無意識に判断しているのだと思います。
しかし僕も人間なので嫌な事があれば落ち込みますし、否定されれば傷付きます。
この記事では『傷付かない人なんていない』という当たり前の事について、思う事を書いていきます。
近くに『何を言っても平気に見える人』がいる方は、是非読んでみて下さい。
傷付かない人はいない
人間には心があります。
辛い出来事や嫌な出来事があれば、誰でも心は傷付きます。
『何を言われても平気な人』は、他の人に比べて心が強かったり、嫌な出来事をに対しての感情を自分1人で処理出来るだけです。
同じ出来事があっても他の人に比べて傷が小さかったり、「今日はこんな傷付く出来事があった!」と周りに報告しないので、平気に見えるだけです。
『何を言われても平気な人』ではなく『何を言われても平気に見える人』という事です。
他人を否定する権利なんて誰にも無い
人は1人1人違って全く同じ人間はいないので、『大事にしている事・考え方・趣味・嗜好』など人それぞれです。
何を言われても動じない心が強い人もいれば、ちょっとした事で落ち込む心が弱い人もいます。
そのため『自分の主観』という狭い過ぎる基準から外れているだけで、他人を否定するのは傲慢過ぎると僕は思います。
そもそも自分の基準から外れている人がいたとしても、関わらなければ済むだけの話です。
人を傷付けて良い理由なんて無い
「どうせ平気なんでしょ?」、これは僕が数え切れない程言われた事がある言葉です。
正直言ってしまうと、確かに僕は何を言われても殆ど気にしませんし、傷付いたとしても小さな傷でなおかつ回復に時間があまりかかりません。
しかし「傷付かないから・傷付けても平気だから」なんて理由は、人を傷付けて良い理由にはなりません。
こんな事は、改めて説明する必要すら無いと思います。
「嫌がって無かった」や「反応が薄かった」などを理由に人を傷付け、石を投げるような行為はハッキリ言って『いじめ』と同じです。
相手の立場に立てば言葉以外にも判断材料はある
僕は愚痴や弱音を基本的に言いません。
理由は単純で『愚痴や不満をどれだけ言っても、現状は何も変わらないから』です。
現状を変えるのは『行動』しかありません。詳しくはこちらの記事をご覧下さい。
ですが愚痴や不満を言わない事を『悩みも不安も一切無い』、というように捉える人がいます。
彼らの意見としては「言われないと分からない」という事らしいです。
しかし相手の立場や状況になったつもりで考えれば、言葉以外の判断材料なんていくらでもあります。
というより相手の立場になって考える事も出来ない人間が、人を否定したりするのは非常に無責任な行動です。
相手の立場や状況を知らないなら、それこそ何も言う権利はありません。
相手の立場や状況がそもそも分からない間柄の人間の事を、どうこう言う時点でそもそもおかしいと思います。
自分がされて嫌な事をしないのは人として当たり前
人間関係において『自分がされたら嫌な事は人にしない』、というのは当たり前の事だと思います。
例えどんなに親しい人でも、「自分がされたら・・・」と考える事を忘れはいけません。